
こんにちは。主宰の西村猛です。
療育の現場で働いていると、「評価をしっかりしなければ」「正確に説明しなければ」と思うことがあります。
私自身もPTとして働き始めた頃はそうでした。
できるだけ正しい評価を心掛け、課題を整理し、専門的に説明する。それが専門職としての役割だと思っていました。
もちろん、それは間違いではありません。しかし30年以上現場に立ち、多くの保護者の方とお話をしてきて感じることがあります。
それは、保護者は評価結果を聞きに来ているのではない、ということです。
保護者が本当に知りたいこと
例えば面談で、「感覚処理に偏りがあります」「姿勢保持に課題があります」「ワーキングメモリーの弱さが考えられます」と説明したとします。セラピストからすると、これは大切な情報です。
でも保護者は、その言葉そのものを知りたいわけではありません。
保護者が本当に知りたいのは、「なぜうちの子は困っているのでしょうか」であり、「この先どうなっていくのでしょうか」であり、「何かできることはありますか」なのです。
もっと言えば、「うちの子は大丈夫でしょうか」という不安への答えを探しています。
評価結果を伝えても安心にはつながらない
若いセラピストの相談でよくあるのが、「しっかり説明したつもりなのに保護者の反応が薄かった」というものです。
これは珍しいことではありません。
なぜなら、評価結果と安心感は別物だからです。
例えば、「体幹が弱いですね」と言われても、保護者からすると「それで?」となることがあります。
しかし、「座って話を聞くだけでも人よりたくさんエネルギーを使っているのかもしれませんね」と言われるとどうでしょう。
普段の困りごととつながります。
さらに、「だから集中力の問題というより、まず姿勢を支える力の影響も考えられそうですね」と説明されると、子どもの見え方が変わります。
このように、評価とは本来、課題を伝えるためのものではなく、子どもを理解するためのものです。
専門用語を伝えることが説明ではない
療育の仕事をしていると、つい専門用語を使いたくなります。
前庭覚、固有受容覚、実行機能、感覚調整。
もちろん専門職同士なら必要な言葉です。
しかし保護者支援の場面では、専門用語を知ってもらうことが目的ではありません。
その言葉を使って、子どもの姿を理解してもらうことが目的です。
例えば、「実行機能が弱いです」ではなく、「頭の中で順番を整理することが苦手なので、準備の場面で困りやすいのかもしれませんね」と伝える。
「感覚特性があります」ではなく、「人より音や刺激を強く感じやすいので、疲れやすいのかもしれませんね」と伝える。
同じ内容でも伝わり方は大きく変わります。
信頼されるセラピストが見ているもの
ここで大事なのは、評価結果を見ることではありません。
評価結果を伝える相手(保護者やお子さん)をどれだけしっかり見ているか、が何より大事です。
私は保護者面談で、評価用紙を見ながら話す時間よりも、保護者の表情を見ながら話す時間の方が大切だと思っています。
不安そうにされているのか。安心されたのか。納得されているのか。まだ何か引っかかっているのか。
そこを見ながら話を進めます。
なぜなら、私たちが向き合っているのは評価用紙ではなく、目の前の親子だからです。
AIにはできない仕事
最近はAIの発達によって、評価結果をまとめたり、レポートを作成したりすることが簡単になってきました。
おそらく今後はさらに進むでしょう。
評価結果を整理するだけなら、AIの方が速くて正確かもしれません。
では、セラピストの価値はどこにあるのでしょうか。
私は、保護者の不安を理解し、子どもの可能性を一緒に考えること、だと思っています。
評価結果を説明するだけならAIでもできます。でも、「お母さん、今まで大変でしたね」「この子なりに頑張っていますよ」「私はこういう可能性があると思っています」という対話は、人にしかできません。
療育は、「人が人に対して、行うべきもの」です。
セラピストは評価機械ではありません。人間です。
お子さんも保護者も、架空の人物ではありません。
私たちの目の前にいる、実在する人間です。
おわりに
療育において評価はとても大切です。
しかし、評価そのものが目的ではありません。
評価は、子どもを理解するための手段であり、保護者と理解を共有するための手段です。
もし面談が終わったあとに、保護者が評価結果を全部覚えていなくても構いません。
でも、「少し安心しました」「この先生はうちの子を分かってくれている気がします」と感じてもらえたなら、その面談には大きな価値があります。
私たちが届けるべきものは、評価結果ではありません。
その先にある理解と安心だと思います。

